プロジェクト概要
那覇市から西へ約40kmの位置に点在する慶良間諸島は、2014年に国立公園に指定された美しい島々です。慶良間諸島は座間味村と渡嘉敷村に分かれていますが、このうち座間味村にあたる阿嘉島は1945年、第二次大戦時に米軍が沖縄で最初に上陸した地となりました。またたく間に他の島々にも上陸され、村は戦場となり、村民は逃げ惑い、島は焼き尽くされました。
今は美しく自然豊かなこの島々には、数多くの戦争の跡が残されています。この記憶を伝え、忘れてはいけない「平和のありがたさ」を感じ、守り、未来へとつなぐプロジェクトです。
慶良間諸島における戦闘関係年表
〔参考〕座間味村史 座間味村関係略年譜/沖縄・阿嘉島の戦闘(中村仁勇著)より一部再編
昭和16年(1941)
- 4月1日
- 座間味尋常高等小学校が座間味国民学校となる
- 7月
- 紀元2600年記念建立の忠魂碑完成
- 10月6日
- 座間味青年会館落成
- 12月
- 太平洋戦争勃発で各部落の生活改善冗費節約を促し勤倹、貯蓄を推進する
昭和17年(1942)
- 阿嘉分教場が阿嘉国民学校として独立 慶留間分教場は阿嘉国民学校の分教場となる
昭和18年(1943)
- 青年団、婦人会を中心に防空訓練、消火訓練、防空壕掘りが行われる
昭和19年(1944)
- 2月17日
- 南洋トラック島からの引揚船「赤城丸」が空襲を受け、村出身者多数死亡
- 8月
- 沖縄防衛のため、21歳~45歳までの男子に徴用令が施行
- 9月8日
- 座間味の漁船新盛丸、新興丸、阿嘉の鰹漁船盛興丸および乗組員が日本軍に徴用され本島へ
- 9月10日
- 海上挺進基地第一大隊(小沢隊長=約1,000人)と海上挺進第一戦隊(梅澤隊長=約120人)が座間味へ駐屯
- 海上挺進基地第二大隊(古賀隊長=約900人)が阿嘉へ駐屯
- 学校の校舎が日本兵の本部宿舎となり、児童生徒は仮教室や露天で授業
- 座間味診療所、座間味養蚕室、日本軍に接収される
- 9月20日
- 民家に将兵の宿舎割当完了。将兵は陣地防空壕等の構築、住民は軍民用の食糧生産に従事
- 9月26日
- 海上挺進第二戦隊(野田隊長=104人)阿嘉に駐屯
- 10月3日
- 米軍、沖縄攻略(アイスバーグ作戦/1945年1月6日作成)を決定
- 10月10日
- 10・10空襲
- 英泉丸が座間味沖、徴用された盛興丸が神山島附近で爆撃を受け、乗組員十人が死傷
- 慶良鉱業所(屋嘉比)の精鉱運搬船全滅
- 座間味、阿嘉に各7人の朝鮮人従軍慰安婦が到着
- 12月
- 阿嘉の17歳~19歳の男子、戦闘教練に参加させられる
昭和20年(1945)
- 1月3日
- 座間味島の16歳から45歳までの男性たちが防衛隊として再編成される。また女子青年約20人も軍属として徴用される
- 1月21日
- 午前8時頃より米軍機が突然姿を現す。座間味阿嘉港内碇泊の船と慶良間海峡に停泊中の船団、空襲により10数隻が炎上・沈没
- 1月
- 座間味国民学校の「御真影」を疎開
- 2月18日
- 座間味、阿嘉の基地主力大隊約1,300人が沖縄本島へ移動
- 阿嘉の朝鮮人従軍慰安婦も基地隊と共に移動
- 2月
- 朝鮮人軍夫約650人(座間味300人、阿嘉350人)配置される
- 3月
- 阿嘉、屋嘉比の満17歳以上45歳までの男性たちが防衛隊として召集される
- 阿嘉15歳から17歳までの少年たちが「少年義勇隊」として組織化
- 3月23日
- 座間味・阿嘉国民学校及び住居の大半が爆弾投下で焼失する。村内各島が空襲に遭い、山林原野が猛火に包まれる。住民は自作の壕または山へ避難
- 3月24日
- 来島していた船舶隊長大町大佐、巡視のため座間味から阿嘉に渡る
- 3月25日
- 米軍艦艇慶良間海峡に集結、各島へ空襲艦砲射撃
- ●3月26日
- 米第七七歩兵師団、阿嘉、慶留間、座間味島に上陸、日本軍との陸上戦闘開始
- 08:04 阿嘉島上陸
- 08:25 慶留間島上陸
- 09:00 座間味島上陸
- 09:21 外地島上陸
- 13:41 屋嘉比島上陸
- 米軍上陸で座間味、慶留間住民、方々で「集団自決」発生
- 米軍は座間味部落ウカジンバルに司令部を置き住民を宣撫する
- 海軍軍政府布告第一号(ニミッツ布告)を公布 役場、阿真の石垣に張り出す
- 座間味部落の中心部の焼け残った家屋が村民(後には渡嘉敷村民も)負傷者の治療病室に当てられる
- 3月下旬
- 座間味国民学校敷地は米軍将兵戦死者の墓地となる
- 米軍、阿佐区長に宮里盛永、阿真区長に知念繁信を任命
- 阿嘉島では山奥に避難した部落民の食糧問題が深刻になる
- 5月7日
- 伊江村民450名慶留間区に移動させられる
- 5月下旬
- 座間味部落の「集団自決者」の遺体収容を行う
- 6月1日
- 米軍、座間味島で実験的に「B型軍票円」を発行
- 6月下旬
- 阿嘉区民約300名と屋嘉比で働いていた渡嘉敷村前島の住民約10人が慶留間区に移動する
- 7月
- 米軍の布告により、慶良間列島自治制施行(列島長・知念繁信)
- 7月23日
- 慶留間分教場開校。生徒―伊江村56人、阿嘉60人、慶留間15人 計131人
- 7月下旬
- 列島議員の選挙
- 8月
- 渡嘉敷村、慶良間列島に統合され列島議員2名補充任命される
- 8月15日
- 座間味小学校阿真で開校
- 8月17日
- 日本軍の降伏について、米軍側より軍使を通じて阿嘉島日本軍守備隊に正式に伝えられる
- 8月22日
- 阿嘉島正面海岸にて降伏調印式が催される
- 8月23日
- 阿嘉島の日本軍武装解除
- 最後まで抵抗を続けていた阿嘉部落民が投降し5カ月ぶりに下山
- 9月9日
- 知念列島長、米軍大尉とともに渡名喜島へ終戦を連絡
- 9月下旬
- 列島議員による選挙で、宮村(宮里)盛永が列島長となる
- 阿嘉小学校開校
- 12月23日
- 座間味駐屯の米軍沖縄本島へ移動
昭和21年(1946)
- 1月上旬
- 村役場跡地で「集団自決者」の慰霊祭行う
- 3月20日
- 慶留間から伊江島住民引き揚げ