戦跡地マップ
美しく自然豊かな村に、
数多く残された戦争の跡。
忘れてはいけない「平和のありがたさ」を
感じ、守り、未来につなぐ。
座間味村は沖縄戦時において、米軍が初上陸した地となり、多くの尊い命が奪われました。村内には当時の住民が避難した防空壕(ガマ)や、御霊をまつる慰霊碑など、沖縄戦の記憶を伝える戦跡が多く現存しています。座間味村の戦跡めぐりを通し、平和についてあらためて学び、感じ、ともに未来へとつないでいけるよう願っています。
慶良間諸島米軍侵攻について
当時、沖縄本島への侵攻を予想した日本軍は、米軍を背後から奇襲するために慶良間の島々に約200艇のマルレ(海上特攻艇)を配備しました。これに対し、米軍は沖縄本島上陸作戦の前に補給基地として慶良間諸島の制圧を開始。1945年3月23日、数百の艦隊による砲爆撃の後に上陸し、圧倒的な戦闘力の差を以ってわずか数日で島々を占拠しました。慶良間諸島周辺には、荒天時でも艦艇が避泊できる天然の錨地が44カ所あり、水上機基地の配備にも適していたことから軍事的価値の高いエリアであったとされています。
[慶良間諸島への侵攻]
- 1945(昭和20)年3月23日
- 座間味・阿嘉国民学校及び住家の大半が爆弾投下で焼失
- 同3月25日
- 各島へ空襲艦砲射撃
- 同3月26日
- 阿嘉、慶留間、座間味島に上陸。日本軍との陸上戦闘開始
- 同3月27日
- 渡嘉敷島上陸
「戦跡地」を巡る際の注意点
- 一人での行動は避け、必ず二人以上で行動してください。慰霊碑の奥や山の中には入ったりしないでください。たいへん危険です。
- 健康や怪我の防止に留意し、各自の責任において行動してください。
- 戦跡地を巡る際の事故やけがなどについては、座間味村は一切責任を負いません。予めご了承ください。
- 戦跡地は村や住民にとって大切な場所です。迷惑行為は慎むようにしてください。
戦跡地一覧
番号は上図の地図上の番号と一致しています。