証言 ――― 戦争体験者たちの言葉

宮里つる子さん(昭和9生)
宮里つる子さん(昭和9生)

屋嘉比島での空襲と母の遺体を探してさまよった記憶

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垣花武一さん(昭和5生)
垣花武一さん(昭和5生)

義勇隊(少年兵)へ招集されるのは名誉なことだと思っていた

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平田文子さん(昭和7生)
平田文子さん(昭和7生)

父親の出兵と弟の死、防空壕での集団死

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垣花武信さん(昭和12生)
垣花武信さん(昭和12生)

日本兵に「一遍に殺してくれ」とお願いした

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田中美江さん(昭和5生)
田中美江さん(昭和5生)

座間味村で最初の戦死者であった父

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宮平ウメさん(大正12生)
宮平ウメさん(大正12生)

「もう村の人みんな一緒に死んだ方がいいから」と言って集まった

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高江洲敏子さん(昭和6生)
高江洲敏子さん(昭和6生)

ガマ(防空壕)では生後3ヶ月の妹を「うるさいから殺せ」と言われた

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平田文雄さん(昭和4生)
平田文雄さん(昭和4生)

竹槍を持って戦えということは行って殺されなさいといっていることと同じ

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金城幸善さん(昭和6生)
金城幸善さん(昭和6生)

3家族15、6人に手榴弾1、2個では自害しようにも死にきれない

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中村武次郎さん(昭和5生)
中村武次郎さん(昭和5生)

「アメリカ軍が来ている、早く首を締めてくれ」そう母に言った姉は冷たくなった

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兼島菊枝さん(大正14生)
兼島菊枝さん(大正14生)

朝鮮人慰安婦はみんな日本語が上手だった

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照喜名喜代子さん(昭和4生)
照喜名喜代子さん(昭和4生)

「死んではいけない、私たちはこの島にあなたたちを守りにきているのだから」鈴木隊長はそう言った

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嘉手納正二郎さん(昭和10生)
嘉手納正二郎さん(昭和10生)

漂着物は何でも食べられると思い、ゴムも食べた

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嘉手納喜代子さん(昭和10生)
嘉手納喜代子さん(昭和10生)

米兵がガムをくれようとしたが、母は「毒が入っているからダメだ」と言った

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深沢敬次郎さん(大正14生)
深沢敬次郎さん(大正14生)

[前編]ベニヤ板の小舟に250kgの爆雷を積んで体当たりをするという話だった

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深沢敬次郎さん(大正14生)
深沢敬次郎さん(大正14生)

[後編]投降後、収容所で遺骨収集をさせられた

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