証言 ――― 戦争体験者たちの言葉
深沢敬次郎さん[後編]
3月29日 飢餓との闘い
29日までは戦闘だけど
それからは飢えとの闘い
草も手で掴んで、ちぎれるものは
食べられた、生でも
手でちぎれないやつはダメ
沖縄本島へ
マルレが沖縄についた時
半数が台風でやられていた
小禄の工兵隊のところで修理をした
時間がかかったので交代で小禄に行った
その時に民宿した
その時に初めて沖縄料理を食べた
民宿だから(久しぶりに)食事にありつけた
とにかく美味かった、お腹が空いていたから
美味かったということしか記憶がない
休戦協定の締結
アメリカ軍の方面司令官と
野田少佐が話し合って
休戦協定が結ばれた
戦争中の休戦協定は重大事件
島の人と朝鮮人軍夫は、軍規には関係ないから投降を認める
といったから島民と朝鮮人軍夫は投降できた
軍人は軍規を守らないといけないから残った
残ったから、今度は飢えとの闘いになった
飢えとの闘いになり、飢えで死ぬよりは
逃げた方いいといって逃げた人もいた
飢えて死ぬよりは投降した方がいいといって
投降した人もいた、何人かが投降したり逃げたりした
休戦協定に反発して離脱した兵
仲間の4人が久米島に逃げた
その中の1人が漁師の息子だった
何人かで逃げようとしたけど、(船に)4人しか
乗れないから、4人で久米島に行って
民間人になりすまして生活した
8月23日 投降と収容所生活
8月23日に武装解除して投降した
どういう選び方されたかわからないが
10人ぐらいが座間味の収容所に行った
慶留間の遺骨収集をさせられた
その時初めてアメリカ軍の収容所に入った
焼かれた魚を出されたけど、口にしたら拒否反応を
起こして全く口が受け付けない
だから口にできたのはビスケットと
ジュースを飲んだだけ
検査が終わったら黄色い錠剤を出された
それはマラリヤの予防薬だった
それを出されると今度は毒殺されると思った
だから飲めない
その時に軍服を着た日本人通訳が来た
その人の話で、だんだん納得して
気にしないで飲めるようになった
その通訳がいなければアメリカ軍を信用できなかった
正直のところ殺されると思っていたから
ライカムの収容所での体験
ライカムの収容所に入った
アメリカのニュースとか映画を見せられた
東京とか他の場所の空襲のあとの様子を
ニュースでやっていた、これはすごいなと思った
廃棄処分する時に、ダンプカーに積んで谷間に行って
自動的に物を降ろした
その時はすごくたまげた(驚いた)
水(井戸)を掘るのも機械で掘る
だから全部一直線に深さも一定して掘れる
そういう作業だから楽できると思っていたら
掘った土を一輪車で運ばないといけない
一輪車で運ぶのが難しかった
復員し与那原から船で故郷へ
与那原から船に乗ってLS 艇で帰る途中
台風にあって、大分の沖で少し休んで
それから名古屋に着いて、その時に強制労働でもらった
いく日か分のお金が200圓あまりあった
しばらく生活できると思って、名古屋の闇市で
お土産を買おうとしたら、タバコ1個が50圓だった
それはショックだった、色々と苦しい生活をしているけど
どんなに苦しくても、戦争よりは苦しいことはないと思った
戦争よりは苦しい目には合わないだろうという思いが
あるから、どんなに苦しくても生活はできるなと思った
その後、警察官に
職業募集しているのは警察官しかなかった
別に好きでなったわけじゃない、やむなくなった
闇米の取り締まりをしていたけど
闇米がなければ食べていくことができない
食べていけないから(上司から)命令されても
取り締まりすることができない
阿嘉島再訪
2度と(阿嘉島に)来られないと思っていたので
(来ることができて)感極まった
遺骨収集をして収集が終わった時
時間が経過していたので
夕日が綺麗だなーと思った
(戦時中)何回も夕日は見ていたけど
夕日を見たという感覚がなかった
その時は本当に夕日が綺麗だなぁと思った
平和っていいなと思った
島民との交流
みんな戦争の話しかしないんだよ
共通しているから戦争の話は
島の人たちからも話を聞いて、戦争中に島の人たちが
どんな生活をしていたのかわかった
島の人も我々のことをわからなかったから
話をして両方がわかったんじゃないかな
かつての隊長らと
野田隊長は島の人から敬遠されていた
隊長はボイコットではないが
寄りつける場がなかった
沖縄の島の人からは
あまりよく思われていなかった
排除する感覚と沖縄の問題
他人と余所者と仲間を区別された
集落に余所の人が入ってくると
秩序が乱れるという感覚があった
沖縄と本土は自分と余所の者という感覚は
今も残っていると思う
朝鮮民に対してもそう
同じ人間という扱いができない
私からしたら、人間と人間が関わり合えば
そういう問題は解決するものだと思うけど
なかなか人というものは
簡単にはいかない
慶留間の集団自決について思う事
集団自決というのは
親が子供を殺して親が自殺する
あれは一家心中だというけど
一家心中ではない
一家心中というのは
お互いに納得して死ぬこと
幼児や子供は自殺できない
でもそれも集団自決といわれる
私にいわせれば、あれは強制集団自殺
子や孫の世代へのメッセージ
人間が(人間を)人間として扱うようにならないと
平和とはいえない
阿嘉島のことだけではなく
人間が人間として対等に付き合うようになれば
世の中の争いはなくなると思う
沖縄の人だとか本土の人だとか
そういうことではなくて
誰に対しても(人と人は対等である)
ということを考えている