証言 ――― 戦争体験者たちの言葉

金城幸善さん

昭和6年生まれ 阿嘉区出身
3家族15、6人に手榴弾1、2個では自害しようにも死にきれない

那覇で10・10空襲に遭う

10・10空襲の時は牧志に下宿していた
那覇市街みんな焼けていた
ふつうは空襲に来ても
(敵の)陣地に爆弾を落とすだけ
その時は市街地も全部焼かれた

阿嘉島の戦況

アメリカ軍は艦砲射撃をして
阿嘉島に最初に上陸した
阿嘉島が最初だといわれている
こちらから艦砲射撃で海から撃つ
段々と(射角が)上に上がっていく
段々畑を撃つように
機雷が敷設されていたら
舟艇が上陸するまで機雷があったら困る
ダーン、ダーンと(艦砲射撃が)上から見える
ちょうど私がいたところが
タキバルに登るところに道が一本
稜線に沿ってつくられている(そこで見ていた)
南側に機関銃隊が配置されていて
山に上がれば、アメリカ軍が
攻めて来るわけでもない
なぜかというと、アメリカ軍は島に
高射砲台を置いて、船を守るためだったと思う
本島に(弾が)届くわけじゃない
(高射砲大を置いたから島を)占領する必要がない
最初の上陸から1、2週間でいなくなった
山にも攻撃に来ない
攻撃しても歯向かうだけの戦力がないから
そのまま放ったらかしにしていたんだと思う
それが自害しないで済んだ
大きな(要因)だと思う

義勇隊での任務

軍隊に配置されて
山に登ってから各隊に配置された
おにぎりを1つの缶に入れて
2人1組みになり
夕方は翌日の朝と晩の
おにぎりを取りに行く
翌日の朝は
夜の食べ物を取りに行く
もちろん兵隊1人も一緒で、3人1組で毎日
そればかりをやっていた、山に入ってからは
鍛えられていたのか
全然、苦ではなかった
タキバルという山に
監視所があった
松の木の上に台だけつくって、立って監視する
その下に小屋があって、そこに兵隊がいる
1月、2月、3月のまだ寒い時期
北風を避けるために南を向く
座間味は裏側で
反対を向いている

上に立っている時に下の兵隊から、本部から爆音が
聞こえるといっているが何か見えるかといわれて
だけどその時は、寒いから(南を向いて)
裏を見ていないから、あれっと思って
機関銃を撃つのはこの辺しかないから
と思って、後ろを向いたら
B29が低空飛行で通っていく、いましたと
いったら、ぼやぼやするなと怒られて

マルレ艇の存在について

もちろん知っている
舟艇も見た
第1中隊というのが
慶留間にあった
ここから出撃している10何隻か
阿嘉なんて、すぐやられていた
第2中隊はこっちにあって
第3中隊は浜にある
隊長命令で「出撃」といわれ
第1中隊は出撃した
第2、第3中隊が出撃しようとした時には
もうすでに壊されて出撃できない状況
大下少尉に出撃命令がくだり
16人で出撃した
那覇に着いたのは8人くらいだったが
全員、那覇で亡くなった
それからすると、阿嘉にいた第2、第3中隊は
誰1人として(出撃によって)亡くなった人はいない

阿嘉島での朝鮮人軍夫への処遇

(朝鮮人軍夫)は
壕を掘るために来ていた
山に登ってからも、本部の方を(掘って)
貫通させた、南側が見えるように
全部、彼らにやらせて
(作業が)終わったら、縦壺の壕に入れた
防衛隊が監視しているが、トイレに行く時は
出すから、その時に逃げる人がいた
捕まえきれないと
防衛隊も怒られるから
殺される時には住民の前を通って
アグの浜に行く、道がそれしかないから
捕まったら銃殺された
アグの浜で
今でも毎年、慰霊祭に
韓国から来る
(日本軍がしたことを)考えると、ちょっとやそっと
詫びたぐらいで、日本は許されると思ったら大間違い

シジヤマ(スギヤマ)、家族との再会

島の住民がシジヤマ(スギヤマ)に
夕べ避難したと聞いた
嬉しかった本当に
昼にシクの山で別れて
アメリカ軍は(山に)登って来ていないので
殺されているとは思わないけど
自害していないかと心配していた
一目散に、もう義勇隊もクソもなく行ったら
親戚単位で集まっていて、自害しようということで
手榴弾1、2個を持っていた
3家族なので15、16名になる
もし(手榴弾)で自害しようとしたら
1人は死ぬかもしれないけど、あとは傷つくだけ
恐ろしくなった
その時に鈴木大尉が来られて
「民は死んではならない
戦争は軍隊がするものだから」
戦争は我々がやる、今から(攻撃)に行くから
心配するなと、住民は死んではいけないといわれた

戦後、子ども達へ体験をどう伝えたか

伝えきれない、これだけは
不思議だね人間というのは
他人には話せても…
自分の子供には絶対にそんな話は(できない)
みんなそうじゃないかな

子や孫の世代へのメッセージ

戦争は人類を殺傷することが使命
人間の生命の尊厳を認めない
人道に悖る悪なる行為である
戦いに参加した者、上官、兵卒、民間人を問わず
すべて戦争の被害者である
平和であってこそ人類は幸せな人生を
全うすることができるのである
平和、人間尊重の理念を貫き通す意志及び
勇気のある行動を後輩のみなさまには期待したい
戦争というのは
人を殺すことだから
人間尊重が大切、そのためには
平和じゃなければいけない
言葉だけではダメ
誰のためでもない
人類が豊かに幸せに暮らすためには
平和が大切だってことを、若者に伝えるべきだと思う